デス・ゾーン

デス・ゾーンを読んだ。立ち読みしていたら無性に読みたくなり購入した。

エベレストで滑落死した登山家、栗城史多さんの事を書いた本だ。最初は栗城人気にあやかって出版した、表面だけ追った本かなと思いながら手に取ったが、読後の感想は180度変わった。綿密な取材と記録、映像を実際に見て読み込んで、関係者に逢い取材し、手間と時間をかけて栗城氏が何故登るのかを追いかけた本であると思う。すくなくともねつ造はないと思う。思い込みはあるかも?反栗城本だった。ただここまで書く必要があるのかとも思う。マスコミの本質を垣間見た気がした。

山の事故の時のマスコミ取材には苦い、怒りに近い記憶がある。信州大学山岳会の先輩であり、日プロの会員でもあった田辺治さんが隊長で2007年秋にダウラギリで隊員2名と共に遭難した。大規模な雪崩で埋没したのだ。当時 テレビ、新聞社が、日プロの事務局を置かせてもらっている名古屋の登山のショップ、穂高に大挙して押し寄せた。とてもお店の営業ができる状態ではなかった。名古屋圏の某新聞社はその中でも強引で大変困った記憶がある。穂高の社長には大変迷惑をかけた。ああごめんなさい。

取材攻撃
出発前、田辺さんが隊長で、留守本部を日プロの事務所に置かせてほしい旨の申し入れがあり、ちょっと迷ったが、書類上だけという口約束で留守本部を引き受けた。冗談で捜索には行かない話もした記憶があるが遭難した隊員のご家族の手前、行かない選択肢は当然なかった。現地に向かう飛行機に、遭難したご家族と一緒にネパール行きの飛行機に乗る気分は、今でも覚えている。遭難の状況と経過した時間を考えれば生存の可能性は限りなく低く、何も声をかけられない、何も言えない自分に歯がゆかったが、考えれば考えるほど言葉が出ない。

捜索隊の責任者としては、マスコミ対策も仕事のうち、私が心がけたのは、新聞に情報が載らないようにすることだ。写真、現地情報、ヘリ情報と交渉、日本大使館情報、保険交渉、警察、病院、検死、すべて極秘と考えた。家族の気持ちを考えると、遭難した息子、夫の写真や名前が新聞、ニュースに出てうれしいはずはない。そっとしておいてという気持ちだろう。日本からカトマンズまで国際電話が、私の日本のソフトバンクの携帯にかかってくる。+81番号なのですぐわかる。大事な情報や用件かもしれないので出ると、新聞、テレビからの通話で、内容は100%、遭難したメンバーの写真が欲しいという内容。日プロのホームページの写真使用も求められた。あとはコメントを求めてくる。当然すべて速攻断った。おまけは国際通話分の料金は発信者だけでなく着信者にも請求が来る。3週間ほどカトマンズにいて、翌月の私の携帯請求額は30万近かった。ああ

こんなことがあったので、この本を読んで、ここまで書くかと思った。私は書けないし書かない。ご家族の了解をどうやって得たのか?謎である。

本題に戻ります

著者は北海道放送のディレクター河野哲氏、私とまったく同年齢だ。
副題は、栗城史多のエベレスト劇場
目次からして、そこまで書くのという感じだ。
以下目次から
遺体の名前はジャパニーズガール
エベレストを目指す、ビジネスマン
登頂のタイミングは占いで決める
婚約破棄と取材の終わり
登山家 栗城史多、私は登山家とは半分思わない。登山は素人だからである。とてもプロの登山かとは言えない。簡単に言えば、人からカンパや金銭的応援を受けて登るような難しい記録に残るような登山ではない。それについては本の中にも、体力、技術とも劣っていた記述がある。ただ半分は認める。写真家、音楽家、書家、落語家、それぞれに〇〇家というのは、〇〇を生業として、写真家は写真を撮り、音楽家は楽器を演奏して、生業とするものだ。彼は、七大大陸最高峰単独無酸素登頂を合い言葉に、自分の登山を支援者、ファン、マスコミに販売し糧を得ていたからである。いままでの日本にはいないタイプだった。

彼は何者だったのか?デス・ゾーンを読んでますます解らなくなった。
 七大大陸最高峰単独無酸素登頂? という言葉のマジック
 演出家 登れないと思った山はない
 純粋な少年のままであった。
 ビジネスマン 遠征1回に6,000万円〜1億を集める男
 夢を売る男

日本的に考えれば、死者にむち打つような言葉もある。いい話ばかり書いているわけではない。ただ、栗城氏もマスコミを使用、利用してきた面もあるのでマスコミの宿命

 以下 書きかけ

メスナーの本を本当に読んだのか?都合の良い所だけ理解したのではないか?

著者の栗城評は私の想像を遙かに超えるものだった。

栗城は芸人

占い師に傾倒 スピリチュアル大好き

血液ドーピング

登頂前BCで酸素ボンベ吸入、登頂後下山中に酸素ボンベ吸入。ばれなかったらOK

登頂後、敗退後、酸素ボンベを吸っても無酸素登山?

単独ではない、単独風登山。そもそもサポート隊が酸素ボンベを持ってキャンプで待機するのは単独登山ではない

ネット登山家は、人々に夢を語りながら、自身は死を望んでいた

人の言うことを聞かない男

登山は素人

拍手と罵声

本気で登れると思っていたのか

栗城とオカルト、宗教、アムウエイ、高額な水晶玉

凍傷治療、細胞外マトリックス 再生治療で指が伸びる

血液ドーピング

看板倒れ

ドンキホーテ

カトマンズの山岳ジャーナリスト、エリザベスホーリー氏に褒められた。(ホーリー氏は全否定)

加藤慶喜 中村進

花谷泰広ガイド

田辺治隊長

マンバハドールグルン(ネパール人ガイド)の言葉 あの子(栗城氏)には、何を言っても意味がない

野心 とシェルパの飛行機死亡事故

最後のエベレストに出かける「最後の言葉」

今まで長い間ありがとうございました。ボクはもうここには戻ってきません。

絶対登れるはずのない南西壁に何故行ったのか?神々の頂のストーリーを演出家としてコピーしようとしたのか?

冒険ではない冒険 ただの8000m峰登山

救助スタッフを事前配置 実際何度も救助を要請し、シェルパによりC2まで下ろされた

単独ではない単独登山 FIXロープ使用

無酸素ではない無酸素登山

2004年 北米大陸最高峰 マッキンリー(6194m)単独登頂成功
2005年 南米最高峰 アコンカグア(6962m)登頂
2005年 ヨーロッパ大陸最高峰 エルブルース(5,642m)登頂
2005年 アフリカ最高峰 キリマンジャロ(5895m)登頂
2006年 オセアニア最高峰 カルステンツ・ピラミッド(4,884m)登頂
2007年 チベット チョ・オユー(8201m)登頂
2008年 ネパール マナスル(8163m)登頂
2009年 ネパール ダウラギリ(8167m)登頂
2009年 秋期 チベットエベレスト(エベレスト1回目)初挑戦 秋 メスナールート グレートクロワール
2010年 春期 ネパール アンナプルナ1峰 敗退
2010年 秋期 ネパール エベレスト南東稜(エベレスト2回目)敗退
2011年 春期 チベット シシャパンマ 敗退
2011年 秋期 ネパール エベレスト南東稜(エベレスト3回目)敗退 烏に食料を荒される
2012年 春期  チベット シシャパンマ登頂を目指したが、7000m地点到達前に進行が不可能になり敗退
2012年 秋期 ネパールエベレスト西陵(エベレスト4回目)敗退 強風で凍傷
2014年 夏期 パキスタン ブロード・ピーク(8,047m)登頂
2015年 秋期 ネパール エベレスト(エベレスト5回目)ネパール地震後初 SPCC独占 敗退
2016年 春期 ネパール アンナプルナ1峰 敗退
2016年 秋期 チベット エベレスト(エベレスト6回目)グレートクロワール 敗退
2017年 秋期 エベレスト チベット側からネパール西陵に転進(エベレスト7回目)敗退
2018年 春期 エベレスト南西壁 (エベレスト8回目)

野心 とシェルパの飛行機死亡事故

絶対登れるはずのない南西壁に何故行ったのか?神々の頂のストーリーを演出家としてコピーしようとしたのか?

冒険ではない冒険 ただの8000m峰登山

「一人でも多くの人と冒険の共有をしたい」

「登るだけじゃ意味が無い。みんなと感動を共有できないと…」

スポンサーと契約し、ファンクラブを作り、テレビで番組が組まれ、大金が動いている状況では、アタックせずに下山できる状況ではなかった

エベレスト劇場に酔いしれた男だったのかも