半年ぶりの室堂でした。GW中の降雪で雪はたっぷり、ただし気温あがりすぎて潜ったり、セミモナカだったり、カッチカッチだったり、思うように滑れません。雪が悪いのではなくてスキーの腕が悪いのはわかっているのですが、たまには天国のような雪を滑りたいものです。
2021GW 大雪でしたね
GWに大雪、降っても不思議はないのですが、結構降ってしかも寒かったです。
良い感じの雪だるまに遭遇!
八ヶ岳ブルー
伊勢山上の春とリンクス梅田
最近伊勢山上に2回続けて行きました。春本番で山桜と新緑に身も心も洗われました。新緑キレイです。あと私事ですが、梅田のリンクス梅田のお店に勤務先変わりました。神戸のお店は残念ながら閉店です。お知らせが遅くてすいません。ご来店首を長くしてお待ちしております。クライミングコーナーにいます。
デス・ゾーン
デス・ゾーンを読んだ。立ち読みしていたら無性に読みたくなり購入した。
エベレストで滑落死した登山家、栗城史多さんの事を書いた本だ。最初は栗城人気にあやかって出版した、表面だけ追った本かなと思いながら手に取ったが、読後の感想は180度変わった。綿密な取材と記録、映像を実際に見て読み込んで、関係者に逢い取材し、手間と時間をかけて栗城氏が何故登るのかを追いかけた本であると思う。すくなくともねつ造はないと思う。思い込みはあるかも?反栗城本だった。ただここまで書く必要があるのかとも思う。マスコミの本質を垣間見た気がした。
山の事故の時のマスコミ取材には苦い、怒りに近い記憶がある。信州大学山岳会の先輩であり、日プロの会員でもあった田辺治さんが隊長で2007年秋にダウラギリで隊員2名と共に遭難した。大規模な雪崩で埋没したのだ。当時 テレビ、新聞社が、日プロの事務局を置かせてもらっている名古屋の登山のショップ、穂高に大挙して押し寄せた。とてもお店の営業ができる状態ではなかった。名古屋圏の某新聞社はその中でも強引で大変困った記憶がある。穂高の社長には大変迷惑をかけた。ああごめんなさい。
取材攻撃
出発前、田辺さんが隊長で、留守本部を日プロの事務所に置かせてほしい旨の申し入れがあり、ちょっと迷ったが、書類上だけという口約束で留守本部を引き受けた。冗談で捜索には行かない話もした記憶があるが遭難した隊員のご家族の手前、行かない選択肢は当然なかった。現地に向かう飛行機に、遭難したご家族と一緒にネパール行きの飛行機に乗る気分は、今でも覚えている。遭難の状況と経過した時間を考えれば生存の可能性は限りなく低く、何も声をかけられない、何も言えない自分に歯がゆかったが、考えれば考えるほど言葉が出ない。
捜索隊の責任者としては、マスコミ対策も仕事のうち、私が心がけたのは、新聞に情報が載らないようにすることだ。写真、現地情報、ヘリ情報と交渉、日本大使館情報、保険交渉、警察、病院、検死、すべて極秘と考えた。家族の気持ちを考えると、遭難した息子、夫の写真や名前が新聞、ニュースに出てうれしいはずはない。そっとしておいてという気持ちだろう。日本からカトマンズまで国際電話が、私の日本のソフトバンクの携帯にかかってくる。+81番号なのですぐわかる。大事な情報や用件かもしれないので出ると、新聞、テレビからの通話で、内容は100%、遭難したメンバーの写真が欲しいという内容。日プロのホームページの写真使用も求められた。あとはコメントを求めてくる。当然すべて速攻断った。おまけは国際通話分の料金は発信者だけでなく着信者にも請求が来る。3週間ほどカトマンズにいて、翌月の私の携帯請求額は30万近かった。ああ
こんなことがあったので、この本を読んで、ここまで書くかと思った。私は書けないし書かない。ご家族の了解をどうやって得たのか?謎である。
本題に戻ります
著者は北海道放送のディレクター河野哲氏、私とまったく同年齢だ。
副題は、栗城史多のエベレスト劇場
目次からして、そこまで書くのという感じだ。
以下目次から
遺体の名前はジャパニーズガール
エベレストを目指す、ビジネスマン
登頂のタイミングは占いで決める
婚約破棄と取材の終わり
登山家 栗城史多、私は登山家とは半分思わない。登山は素人だからである。とてもプロの登山かとは言えない。簡単に言えば、人からカンパや金銭的応援を受けて登るような難しい記録に残るような登山ではない。それについては本の中にも、体力、技術とも劣っていた記述がある。ただ半分は認める。写真家、音楽家、書家、落語家、それぞれに〇〇家というのは、〇〇を生業として、写真家は写真を撮り、音楽家は楽器を演奏して、生業とするものだ。彼は、七大大陸最高峰単独無酸素登頂を合い言葉に、自分の登山を支援者、ファン、マスコミに販売し糧を得ていたからである。いままでの日本にはいないタイプだった。
彼は何者だったのか?デス・ゾーンを読んでますます解らなくなった。
七大大陸最高峰単独無酸素登頂? という言葉のマジック
演出家 登れないと思った山はない
純粋な少年のままであった。
ビジネスマン 遠征1回に6,000万円〜1億を集める男
夢を売る男
日本的に考えれば、死者にむち打つような言葉もある。いい話ばかり書いているわけではない。ただ、栗城氏もマスコミを使用、利用してきた面もあるのでマスコミの宿命
以下 書きかけ
メスナーの本を本当に読んだのか?都合の良い所だけ理解したのではないか?
著者の栗城評は私の想像を遙かに超えるものだった。
栗城は芸人
占い師に傾倒 スピリチュアル大好き
血液ドーピング
登頂前BCで酸素ボンベ吸入、登頂後下山中に酸素ボンベ吸入。ばれなかったらOK
登頂後、敗退後、酸素ボンベを吸っても無酸素登山?
単独ではない、単独風登山。そもそもサポート隊が酸素ボンベを持ってキャンプで待機するのは単独登山ではない
ネット登山家は、人々に夢を語りながら、自身は死を望んでいた
人の言うことを聞かない男
登山は素人
拍手と罵声
本気で登れると思っていたのか
栗城とオカルト、宗教、アムウエイ、高額な水晶玉
凍傷治療、細胞外マトリックス 再生治療で指が伸びる
血液ドーピング
看板倒れ
ドンキホーテ
カトマンズの山岳ジャーナリスト、エリザベスホーリー氏に褒められた。(ホーリー氏は全否定)
加藤慶喜 中村進
花谷泰広ガイド
田辺治隊長
マンバハドールグルン(ネパール人ガイド)の言葉 あの子(栗城氏)には、何を言っても意味がない
野心 とシェルパの飛行機死亡事故
最後のエベレストに出かける「最後の言葉」
今まで長い間ありがとうございました。ボクはもうここには戻ってきません。
絶対登れるはずのない南西壁に何故行ったのか?神々の頂のストーリーを演出家としてコピーしようとしたのか?
冒険ではない冒険 ただの8000m峰登山
救助スタッフを事前配置 実際何度も救助を要請し、シェルパによりC2まで下ろされた
単独ではない単独登山 FIXロープ使用
無酸素ではない無酸素登山
2004年 北米大陸最高峰 マッキンリー(6194m)単独登頂成功
2005年 南米最高峰 アコンカグア(6962m)登頂
2005年 ヨーロッパ大陸最高峰 エルブルース(5,642m)登頂
2005年 アフリカ最高峰 キリマンジャロ(5895m)登頂
2006年 オセアニア最高峰 カルステンツ・ピラミッド(4,884m)登頂
2007年 チベット チョ・オユー(8201m)登頂
2008年 ネパール マナスル(8163m)登頂
2009年 ネパール ダウラギリ(8167m)登頂
2009年 秋期 チベットエベレスト(エベレスト1回目)初挑戦 秋 メスナールート グレートクロワール
2010年 春期 ネパール アンナプルナ1峰 敗退
2010年 秋期 ネパール エベレスト南東稜(エベレスト2回目)敗退
2011年 春期 チベット シシャパンマ 敗退
2011年 秋期 ネパール エベレスト南東稜(エベレスト3回目)敗退 烏に食料を荒される
2012年 春期 チベット シシャパンマ登頂を目指したが、7000m地点到達前に進行が不可能になり敗退
2012年 秋期 ネパールエベレスト西陵(エベレスト4回目)敗退 強風で凍傷
2014年 夏期 パキスタン ブロード・ピーク(8,047m)登頂
2015年 秋期 ネパール エベレスト(エベレスト5回目)ネパール地震後初 SPCC独占 敗退
2016年 春期 ネパール アンナプルナ1峰 敗退
2016年 秋期 チベット エベレスト(エベレスト6回目)グレートクロワール 敗退
2017年 秋期 エベレスト チベット側からネパール西陵に転進(エベレスト7回目)敗退
2018年 春期 エベレスト南西壁 (エベレスト8回目)
野心 とシェルパの飛行機死亡事故
絶対登れるはずのない南西壁に何故行ったのか?神々の頂のストーリーを演出家としてコピーしようとしたのか?
冒険ではない冒険 ただの8000m峰登山
「一人でも多くの人と冒険の共有をしたい」
「登るだけじゃ意味が無い。みんなと感動を共有できないと…」
スポンサーと契約し、ファンクラブを作り、テレビで番組が組まれ、大金が動いている状況では、アタックせずに下山できる状況ではなかった
エベレスト劇場に酔いしれた男だったのかも
昔話の続き 完結編 脱稿まで11年かかりました
再掲載 確か2010年年末
12月29日から31日 燕岳
燕の前の八ヶ岳から冬型の天気が続き、燕は寒い寒い本格的冬山登山になりました。12月29日 朝は晴れて青空だったのにお昼には雪。ゲートから舗装道路を12キロ歩くのが今日の仕事。三年ぐらい前に来た時もウンザリだったが、今回も中房温泉まで◯◯キロの標識が減るのを楽しみにノンビリ歩く。時速3キロのペースで四時間。時折枝から雪爆弾が落ちてくる。中房温泉はカビ臭いですが、お風呂は最高。珍しく二回も入りました。30日は楽勝気分で合戦尾根を登り始めましたが、結局6時間近くもかかりました。31日朝は、マイナス20度!風は昨日より少し弱かったので、燕岳を往復。冬山の一番の敵は、やはり風!冷たかったです。あとは長い下山。12月31日17時車に乗る。今年も無事終わりました。
と、思いましたが、苦難の道は終わっていませんでした。名古屋までは、中央道でスムーズに帰ってきましたが、寒波で特に、西日本に大雪が降っており、名神高速・新名神が通行止め、それではと、中央道から、東海環状、伊勢湾岸道から名阪国道で帰るか。と気楽に考えていたのですが、名阪国道も雪で渋滞30km。これは大変と、国道165で帰ろうか、166で帰ろうかと迷いましたが、165も名阪国道の迂回路で混雑していると思い、安全策を取って、もっと南の166へ、12月に局ヶ岳に行った時の道なので、安心と思っていたのですが、奥香肌峡あたりから、路面に雪がでてきて雪も降り出し、進むほど、車もいなくなり、2車線の道路の真ん中に車の轍が2本となり、積雪は30cmを超えてきました。しかし、どこにも迂回路はなく、帰ると決めたからには、帰る!とラジオで紅白を聞きながら強引に進みました。車はエクストレイルのディーゼル四駆、ルノーエンジンのマニュアルミッション車だ。もちろん四駆モードにして、デフロックしてタイヤはスタッドレス4本。問題は高見峠、あのトンネルさえ超えれば大丈夫!上り坂になり、もう方向転換もできないようになり、積雪50cm。もう一旦止まったら動けなくなるのは明白!祈るような気持ちでスピードを落とさないように強引に登って行くと、前方にトラックのテールランプが、、、あと200mでトンネルという所でトラックが動けなくなっていました。万事休すとはこのことか。大晦日なのに。積雪は新雪が60cmになっており、どうしようと思案、トラックは何度も滑り、どんどん横を向いてきてもう動けません。もうこうなったら新雪60cmを行くしかない。トラックの轍をはずれ何度か、車を前後させ、トラックの横をなんとか抜け、これで帰れると思ったが、今度は自分の車がスリップしてとうとう前にも後ろにも行けなくなりました。
続く!
あと200m。トンネル入り口が見えています。ドア上20cmほどまで雪が積もっていましたが強引に開けて足で後ろのタイヤの部分を除雪しバックはできました。20mほどバックして勢いつけて前に行きますが、雪が深すぎて車に大きなショックがかかって車が潰れそう。無理です。どうしようか?もうすぐ紅白も終わってしまう。除雪車が来るまで無理か?とあきらめかけましたが、あと数分で正月である。風呂にも入りたい。向こうから対向車が轍を作ってこないかな?と期待しましたが来るわけないです。うーん、万事休す。なんか方法はないか。と頭を絞りまくると、良い物を持っていることに気づきました。スコップです。雪山用のシャベルがある事を思い出しました。長靴の上まで来る雪の中にでて、バックドアを開けてシャベルとグローブを取り出しました。ダウンも着ます。帽子もかぶります。雪山装備は役にたちます。新雪なので軽やかにタイヤ分のみ50mほど除雪しました。アスファルトが出るまで掘るのにちょっと苦労しましたが合計1時間もかからなかったです。様子見でそろそろ前に動かすとなんと動きます。頭にちらっとトラックの運ちゃんが浮かびました。シャベルを貸してあげれば動くかも!しかし、こちらもやっと動き出したのでもう止まりたくない。スピードを上げて勢いつけてトンネルを目指しながら、トラックを見捨てました。ああごめんなさい。除雪した所があっという間に終わり、また新雪!勢いを保ったままアクセルを踏みます。トンネルが近づくと積雪が減り車は加速し、オレンジのトンネル照明の中に飛び込み成功!やったーこれで帰れると雪のないトンネルを越え、緊張しながら出口へ向かう。トラックさん見捨ててごめん。出口からは緩やかな下り坂、また明らかに積雪量も減って30cmぐらいになり、ちょっと安心。時間はとっくに12時を過ぎ元旦になってしまった。だがまだっまだ戦いは続く。まだ人家はなく川沿いだが対向2車線の道路をまずまずのスピードで進む。対向車も前走者の轍もなく道路の真ん中を行く。あれ、何か雪の中に埋まっていると思った直後、何かを乗り越えたような衝撃!木が道路に倒れている。雪の重みで木が折れてるんです。その先には竹藪から竹が雪の重みでしなって、道路に数十本も倒れ、その上に雪が積もっているので見えなかったんです。とても雪を掘って竹を起こすこともできず、やけくそで車でゴンゴン竹を乗り越えました。人家もちらほら出てきて、積雪も20cmほどになり大安心、よく知っている道を選んで169を上市経由で309を水越トンネルを越えていく。水越峠は雪は少しあったが、今までの苦労を考えるとなんてことはない。大阪府に入れば雪はなく疲れ切って家に到着。ガレージに入れて降りたら、天上には30cmほどの雪が載ってました、、、、、、まるで雪国みたい。AM5:00、12時間の戦いは終わりました。山よりだいぶドキドキした長時間ドライブでした。
海鮮丼と梅林
大山のついでによく行く海鮮市場、最近2回続けて行くことになりました。やっと注文方法ノウハウを理解しました。
1、白ごはん、酢飯を選べる。酢飯は100円UP、丼の種類は約15種類
2、大盛り、小盛り、普通盛りを選べる。小盛りの場合は温玉が無条件に付く
3、レジでお金はらって、グループ何人か申告して半券をもらってから、右側の列に並ぶ
4、醤油とわさびで食べても美味しいが、半透明なだしもあるので、是非お試しを!
5、お茶はセルフサービス
6、食器返却もセルフサービス
7、メニューに舞い上がって、欲張って、小盛り2種類頼んではいけない。絶対だめ、まず、冷静になれ。お刺身、そんなに大量には食べられないはず、、、、お腹いっぱいで後悔します。
ハーフトラバース
スイス ツエルマット ブライトホルン ハーフトラバースです。 快調に登っています。ビレイなしなのでノーピンです。実はちょっと寝ているのでそんなに難しくないのです。ああ、コロナが治まって、フックスのサンドイッチ持って登りに行きたいなあー